先生になる
みんなそれぞれ頑張っている。いろいろなものを抱えながら必死に生きている。
これは教員になる上ですごく大切な心構えな気がする。
みんなそれぞれ抱えながら、日々を全力で生きている。
それを許容し、認めて、見守れる教員になりたい。
常にそこに立ち返りたい。
まんなか
中国の儒家、孔子(前550年あたりの人物)は『論語』において、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と述べた。
苦行のすえに悟りの境地に達した仏教の創始者、ガウタマ=シッダールタ(釈迦)(前400年あたりの人物)は、解脱のためには苦行でもなく、快楽でもない、正しい修行である「中道」が必要だと述べた。
プラトンの弟子、アリストテレス(前300年あたりの人物)も、倫理的な徳を身につけるためには、過剰と不足という両極端を避ける「中庸(メソテース)」が大切だと述べた。
古代の思想家がこぞって主張する「まんなか」。
本来の意味は、まんなかというよりも「適正」とか「適度」とかそういうニュアンスに近い。
汎用性が高く、ぜひ参考にしたい考え方。
3日坊主の法則
僕の高校時代のソンケイする先生が言っていた。
3日坊主は悪いことじゃない。
なにかをやり始めて3日で終わってしまったとする。
その時、あー、また3日坊主で終わったよ、、と自己嫌悪に陥るのではなく、
よし、また始めよう!
と再開してみる。
するとどうだろう
4日目できなくてもまた5日目から3日続けられれば、、、
10日のうち8日は達成できているではないか!
つまり、3日坊主を永続的に行えば、それはもう3日坊主ではなく、続けられたと言えるのではないか!
コレ、教育実習のホームルームで丸パクリで話したら結構ウケた。
リコリス・リコイル×高校倫理
リコリス・リコイル全13話を見た。
基本アニメは惰性で見ることが多いので細かい内容は追えていない。
ざっくり要約すると、
日本の治安を守るために、暗殺能力を身につけたJK(リコリス)によって組織された治安維持組織DA。
DAの支部である喫茶リコリコ。
登場人物はDA本部からリコリコに左遷されたタキナ。そしてリコリコの看板娘で最強のリコリスであるチサト。
そこに、日本の異常な治安の良さに疑問を抱くテロリスト、マジマが牙をむく。
今回取り上げるのは、アラン機関。
アラン機関とは、あらゆる分野の天才に対して支援を行う謎の組織。支援を受けているのは日本で13人のみ。
チサトも暗殺の天才として支援を受ける。
「機関が支援する才能は神のギフトだ。選ぶことはできない。生まれながらに役割が示されている。それは幸せなことだ」
とあるクールイケメンスーツ中年野郎が述べた。
「実存は本質に先立つ」
と述べた。
例えば、消しゴムには、文字を消すという役割(本質)がその存在より先に与えられている。
しかし人間はどうだろう。
私たちは役割(本質)よりも先に存在し、自らの意志で自由な存在になることができる。
一方で彼は、
「人間は自由の刑に処されている」
とも述べる。
責任を伴うということ。
さらに彼は、その責任は個人のみならず、人類全体に負うものであると言う。(アンガージュマン(社会参加))
与えられた本質と、本質に先立つ実存。「幸せなこと」なのはどちらなのか。